旨い肴に旨い酒を求めて皆が集まり、釣りの魅力に奥深さ、楽しい釣り談話を肴に予定を立てて旬の魚を釣りに出かける。
さて、次は何を釣りに行こうか?
ヒットした時に感じるロッドから伝わる腕の感触、それを感じてしまったらもう忘れることはできない、やめることはもうできない。
本命か、はたまた外道か。アタリを感じながら心は馳せる。
それまでの戦略など忘れ、一点を見つめまだかまだかと心を踊らす。
ラインの動きがおかしいと焦りを感じながら、一部の望みに掛ける。
お祭りとは、楽しく賑やかなものである。しかし、そこには、神輿も山車もない。
肩を落としながら新たな仕掛けを用意し、気分一新再投入。
夢中で魚と静かな駆け引きを行う。時間だけが淡々と過ぎて行く。
しなったロッドを持つ手に力が入る。
言葉にできない充実感、幸福感は、やった者にしか味わえない。
それを感じてしまったらもう忘れることはできない、やめることはもうできない。
自分で上げた肴ほど旨いものはない。仲間の肴で舌鼓を打ち、共に喜ぶ。
さて、次は何を釣りに行こうか?
そんな仲間達とひとときの時間を共に過ごして行く。
それが、大宮釣友会。
~坊主の言い訳~
釣りの楽しみは、結果ではない。
何を釣りに行こうか。
仕掛けはどうしようか。
ハリスは、何号にするか、何mにするか。
針は、餌は、あれはこうして、これはこうするか。
時間はあっという間に過ぎて行く。
そう、釣りの楽しみは、過程である。
※ボウズ:釣りで魚が全く釣れなかったこと。「オデコ」ともいう。
~釣り人の極意~
魚を釣るのは好きだが、釣った魚は…
魚を釣って来るだけで、捌いて料理することを奥さんに任せっきりにしてしまう、近所や行き付けの料理屋に配って満足してしまう、そんな釣り人は結構いる。
釣り人の極意は、釣りに行くまでの過程、釣果で終わってはいけない。
そう、自分で釣った魚を捌いて料理して食べることにある。
~釣り人の言い訳~
何だかんだ言っても、釣ったという事実。
それ以外何もない。
釣り上げた者が英雄。
それが現実。
オデコを叩き、坊主の念仏を唱える。
「そう、釣りの楽しみは過程だもの」…
※ボウズ:釣りで魚が全く釣れなかったこと。「オデコ」ともいう。
~お馴染みの台詞~
陸地にいると海上が恋しい
海上にいると陸地が恋しい
陸に上がるとお馴染みの台詞をつぶやく
「今日も渋かった」
懲りずに毎回出掛けてしまう嵯峨
なぜ毎回同じ台詞をつぶやくのか
「今日も渋かった」
※渋い:魚の活性が悪くなかなか魚が釣れない様
~坊主の言い訳~参照
~ゴルフと釣り~
趣味は、ゴルフ
趣味は、釣り
ゴルフは、行った者だけが楽しむ。
釣りは、プラスしてお土産がある。肴がある。待っていた者も楽しめる。
大切なのは、本人以外も楽しめることにある。
傘を持つ手が縦には振らずに横にスイングしてしまうのは、何故だろう。
~魚の言い分~
盛り付けた肴に飾りがない。ツマも大葉もなく肴だけが盛ってある。
自分が釣り上げた魚に思いを寄せ、聞き耳を立てる。魚は語り、魚には言い分があり、主張がある。魚の気持ちに反する気がした。
そんな魚の言い分を代弁した盛り付けだった。そっと、柚子とワサビを添えて。
~釣りの奥義~
釣りは簡単はできるが、その奥義はかなり深い。
道具に仕掛けに釣り方と切りがない。
天候が気になる。天気予報を見ていると、一定の法則に気が付く。調べていると、天気予報士の勉強かと思ってしまう。船舶免許の試験の問題にもあったか。
また、キャッチ&イートかキャッチ&リリースかでもそれは変わってくる。
食べられる魚を釣りたくなる。釣った魚を食べたくなる。魚を肴にしたくなる。キャッチ&イートならそれはそれは大変である。
釣った魚を捌くには包丁が必要になる。そう、包丁に凝りだすのである。
包丁を使うにはまな板が必要になる。そう、まな板に凝るのである。
包丁を使ってるいると斬れる包丁が欲しくなる。どんなにいい包丁をつかっても、斬れ味がよくないことに気が付く。そう、砥ぎに凝るのでる。
砥ぎに専念すると色々な砥石が必要になる。そう、砥石に凝るのである。
釣りの奥義は、砥石にあるのである。
砥石で終わればいいのかもしれない。そう、肴に凝るのである。
釣りの奥義はかなり深い。まだまだ終わらない。釣り師が研ぎ師、料理師、何々師へと変わって行く。一体何をしたいのか。そう、釣りを始めると趣味が広がるのである。
~天然物と養殖物~
魚は、養殖物より天然物の方が喜ばれる。
肉は、餌から飼育まで完全に管理された養殖物の方が喜ばれる。
魚の養殖物が喜ばれないのは何故だろう。
~坊主は免れた自分の言い訳~
一匹釣れた。
どうにか坊主は回避できた。
時間を裂いてお金を掛けて来た釣り
坊主じゃない。
そう、釣れた魚は本命じゃない
それって…
それ以上は聞きたくない、考えたくない。
自分への言い訳なんだから…
~ギャンブル~
ギャンブルに填まる人は、あの時の的中の感動が忘れられなくて
負けていることは話さず、勝った時のことだけを話す。
釣りに填まる人は、あの時のヒットの感触が忘れられなくて
釣れなかった時のことは話さず、釣れた時のことだけを話す。
そう、1日の結果ではなく、年単位の結果なのだから…
自然相手に1日でははかれないのだから…
言い訳はみんな一緒やん。。。
~高い魚だね~
わざわざ高いガソリン代や船代を払って、高い魚だね。
?ただ単に魚が食べたいなら魚屋で買えばいいわけで、って説明する切なさが何とも言えない。
~釣った魚の大きさ~
実際に釣り上げた魚と、その魚の話をしている時の魚の大きさ相違があるように感じるのなぜだろう。
20cmの魚が話のなかで「これくらいの大きさ」が25cm位になり、更に話をしていると30cm位になっている。
そのうち1m位になるのではないだろうか。
「これくらい」と言う言葉ほどあてにならないものはない。